兵庫県三田市情報サイト


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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照  豆知識コーナー
【三田市とは】
兵庫県の市。豊かな自然で有名な田園都市である。一時期は、人口増加率日本一になるほど人口が急増していたが、
現在は落ち着いている。市名の読みは「さんだ」であり「みた」ではない。
兵庫県南東部、六甲山地の北側に位置する。かつては田園風景の広がる典型的な農村の様相を呈していたが、
1980年代からの大規模住宅団地の開発と、JR福知山線の複線電化の利便性向上により大阪・神戸の衛星都市として
急激な発展を遂げた。今日では農村と都市の二つの顔を併せ持つ田園都市となっている。瀬戸内海式気候に属する
と言われるが、内陸部に位置するため気温の寒暖差は比較的大きい。
【三田藩】
室町時代に播磨国守護だった赤松則村(円心)の四男・赤松氏範が有馬郡を領有し三田城(車瀬城)を築城する。その後も赤松氏を出自とする摂津有馬氏が領有していたが、戦国時代に織田信長の家臣だった荒木村重が摂津国を平定すると丹波国攻略のために三田を城下町として整備する。荒木村重が謀反を起こし織田信長に討たれると(有岡城の戦い)、信長の家臣・山崎堅家が近江国から2万3千石で入封したことで三田藩が成立する。江戸時代には志摩国鳥羽藩から九鬼久隆が3万6千石で入封し、廃藩置県までの約240年間、九鬼氏が三田藩を統治した。
なお、北部の高平地区は多田源氏の所領として多田荘に属し、江戸時代は現在の大阪府豊中市に本拠を置いていた麻田藩の青木氏1万2千石の所領で、1896年(明治29年)に有馬郡に移管されるまで川辺郡に属していた。
【北摂三田ニュータウン】
三田市は1980年代からの北摂三田ニュータウン(フラワータウン・ウッディタウン・カルチャータウン・テクノパークの4団地で構成)開発を軸に発展してきた。これらの都市開発は多摩や千里の問題点を改善して計画され、事業に長期間かけたのが特長である。開発面積の合計は1,200haにも及ぶ。さらに、これらの開発が呼び水となり市内では民間主導の開発が活発化した。ゴルフ場跡地やニュータウン近隣の山林造成などで宅地を開発するとともに、ニュータウンにならい○○タウンと称して分譲され、三田市が1988年から1997年まで10年連続で人口増加率日本一となる一因ともなった。2006年11月現在、ニュータウンの人口は三田市人口のほぼ半数にあたる56,521人である。
なお、北摂三田ニュータウンの既設4団地と、神戸市域の藤原地区および北神戸第1〜3地区(神戸リサーチパーク)の4団地を足した計8団地は、総面積2,000haにおよぶ神戸三田国際公園都市と称される。
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